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活動報告

金沢城の桜とロゼと女性の集い

2019年4月7日、新老人の会の「季節のしつらい講座」のメンバーの方々と、お花見ランチをジャルダン ポール・ボキューズで行いました。

 

旧石川県庁の県政しいのき迎賓館内のジャルダン ポール・ボキューズから、石川城の美しい石垣と桜、更に兼六園から続く桜並木を一望できます。大きなガラス張りのテラス席に集い、始めに桜のお話、花見の歴史や春のしつらいについてお話をさせていただきました。

 

 

桜(サクラ)の「サ」は、田畑の神である「サの神様」のこと。サの神様が春になって民のいる里に降りていらした際、鎮座なさるのが「クラ」。桜は神様の依代(よりしろ)なのです。

 

 

学問の神と言われた菅原道真が894年に遣唐使を廃止し、日本の国風文化が推奨される前まで、花見といえば「梅」でした。中国文化が入ってきた奈良時代の万葉集(4500首以上)には、「桜」の歌が44首に対し、「梅」の歌は三倍に近い118首ありました。

 

平安時代になり、日本独自の文化が発展すると、花といえば「桜」になります。当時作成された古今和歌集には、「梅」を詠んだ歌は18首程度に対し、「桜」を詠んだ歌は70首もあります。

 

花見団子の3色を考案したのは豊臣秀吉です。見た目も美しい花見団子は、今の時代にも続いています。

3色の並ぶ順番は上から順に。この三色の意味には、様々な説があります。


季節を表している説
・桃……桜の色なので春
・白……雪の色なので冬
・緑……新緑の色なので夏

季節を表しているのに“秋”が無いのは「飽きない」と「商い」をかけて、いくら食べても飽きない、だから商売が繁盛する。という団子屋のユーモアだという説もあります。
ちなみに京都の4色団子は、秋をあずき色(茶)で表しており、京都の商売人はお金(商い)よりも風流を大切にする、プライドを表しているそうです。

3色で春を表している説
・桃……桜・太陽
・白……白酒・残雪
・緑……よもぎ

暖かい日差しに雪が溶けだし、緑が芽吹き桜が咲き始める春の様子を団子で表現した説です。
白は雪ではなく、桃の節句で飲まれる白酒が表現されているという説もあります。京都ではあずき色は大地を表すそうです。

縁起の良い食べ物という意味を表している説
・桃……紅白の紅、運気を上げる色
・白……紅白の白 、清浄を表す色
・緑……邪気を払う色

 (・茶……運気を育む色)

ぜんぶおめでたい色なので、縁起のいい食べ物という意味になったという説です。

さらに、桜が咲く様子を表している説では、赤いつぼみがついた後、白い花が咲き、花が散った後は緑の葉が成長していく様子を表しているといいます。

また、早春の大地を表している説では、空には太陽、まだ少し残る残雪、その残雪の下には新緑が芽吹いているという大地の様子を表しているといいます。

桃・白・緑それぞれ、どんな味がするのでしょうか。花見団子は、もともと上新粉に砂糖を混ぜた“すあま”の白に、赤しそやくちなし、桜やよもぎで着色しています。よってそれぞれ違う味がします。桃色は桜餅風味、緑色はよもぎで草団子風味。一度じっくり味わってみてはいかがでしょうか。
 

さて、その秀吉が繁栄を謳歌していた絶頂期である1594年に開かれた「吉野の花見」では、大阪より運んだ1000本の桜が植えられ、5000人が召喚され、大変盛大なものでした。徳川家康、前田利家、伊達政宗といった、当時の有力な武将も多く呼ばれ、記録によると、花見は5日間続き、本陣がおかれた吉水神社(よしみずじんじゃ)では連日のように茶会、歌の会、能の会が開かれました。
しかも、各武将は変装するなど、現代でいうコスプレをして楽しんだといわれています。

史上最大級の「醍醐の花見」では、招かれた1300人の客に、3着の着物が与えられ、宴の最中に2度も着替えを命ぜられたといいます。衣装代だけで現在の39億円だそうです!

 

宴の席で前田利家正室「お松の方」の武勇伝があります。

記録に残るその日の輿の順は、1番目に北政所、2番目に西の丸殿(淀殿)、3番目に松の丸殿、4番目に三の丸殿、5番目に加賀殿、その後に側室ではない前田利家正室・まつ(お松の方)が続いていました。

宴会の席では、正室である北政所の次に杯を受けるのを淀殿と松の丸殿が争い(秀頼の生母として淀殿が優先権を主張したのに対し、松の丸殿は自身が淀殿の出身である浅井氏の旧主だった京極氏の出身である上、淀殿より早く秀吉の側室になっていた事を根拠に優先権を主張しました)、北政所とは家族ぐるみの長い付き合いのお松の方が「歳の順から言えばこの私。」と申し出て(まつは家臣筋といえど、この席では客人。客人をほうって於いて身内で順争いをするものではないと諌めました)その場をうまく取りおさめたというお話です。

 

江戸時代には、TV番組の暴れん坊将軍で知られる、8代将軍吉宗が「花見」による政策を行いました。

花見が庶民にまで広がっていったのは江戸時代の中頃、享保年間。徳川吉宗は倹約倹約で景気が下がっていた庶民に娯楽を提供する目的で、飛鳥山や墨田川沿いにたくさんの桜を植え、花見を奨励しました。
これを機に、朝からお弁当を作り、家族や近所のみんなで桜の名所へ繰り出し、三味線を奏でて歌ったりおしゃべりしたり、お酒を楽しんだりお弁当を食べたりする今の花見のスタイルが確立していきました。

 

江戸時代の歓楽街である吉原はさらに豪快でした。3月の頭から末までの短い間に、咲いた桜を根っこごと掘り出し、メインストリートである仲ノ町の通りの中央に植えて桜並木を作ったそうです。仲ノ町の通りの長さは約245メートル。一説には1回に100本の桜の木が植えられたとか。満開の桜の木の下を、華やかに衣装を纏った花魁が静々と歩く光景は、さぞや見応えがあったに違いないでしょう。
桜が散ったらまた根っこごと掘り出して、更地にするという手間のかけようだったようです。


江戸時代にはまた、品種改良も盛んに行われました。現在、日本のみならず海外にも輸出されているソメイヨシノは、江戸末期から明治にかけて品種改良されて作られた品種です。


明治維新により、大名屋敷は荒廃や凋落によって取り壊され、敷地内に植えられていた桜もことごとく伐採されてしまいました。それを憂いた人々の手により、桜の植樹は進み、現在の桜並木や桜の名所が生まれました。

そのおかげで、現在、私達はお花見を楽しんでいるのですね。

 

桜は外交にも登場します。外交のストーリーは映画化され「TAKAMINE アメリカに桜を咲かせた男」や「さくら、さくら サムライ科学者 高峰譲吉の生涯」で知ることができます。

ちなみに、2019年、アメリカ現地3月30日付のウォール・ストリート・ジャーナル紙のトップを飾ったのは、千鳥ヶ淵のお花見の写真でした。

 

折しも2019年4月1日には、日本で新元号が発表されました。

新しい元号「令和」の「」については、604年に聖徳太子が作った17条憲法の一つ目「和を以て貴しとなす」を思います。何事をやるにも、みんなが仲良くし、諍いのを起こさないのが良いということです。

 

 

辞書で調べると、【和】とは、

1 仲よくすること。互いに相手を大切にし、協力し合う関係にあること。「人の和」「家族の和」

2 仲直りすること。争いをやめること。「和を結ぶ」「和を講じる」

3 調和のとれていること。

 

とあります。

 

 

インターネットの発達により、グローバル化が急速に進む中、国際社会において、人々がお互いに妥協することなく歩み寄り、理解し合って、調和を保って行く事が大切と考えます。

 

私はインターナショナリストとして、「和魂洋才」を進めてまいりたく存じます。

 

 

講義の後は、日本で唯一のプロヴァンスロゼワインを専門に輸入するロゼレガンスのロゼワイン「リュミエール」と、スパークリングロゼ「フィーヌ・ピュール」を、ポールボキューズの素敵なお料理と共に楽しみました。

 

 

   

 

 

 

2020年に、再び桜と共に集えることを、心より願っております。

ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。

 

 

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