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グラスのつぶやき

第5回 山本益博さん(前編)

『グルマン1984』、『マスヒロの365日食べ歩き手帳』など、"食"に関する著述業の他、講演、テレビ・ラジオ・CM出演、食関係のイベント企画やプロデュース、広告制作などに幅広くご活動されている料理評論家、山本益博さん(以降“マスヒロさん”と呼ばせていただきます)。今回は、マスヒロさんが出会った「食」と「ワイン」に関する思い出や、ワインを「美味しく&楽しくいただく」ためのお話を伺いました。

ワインとの出会い

第5.1回01マスヒロさんがワインを初めて飲んだのは1973年。フランスに初めて旅をする前のこと。どんなワインを飲んでいいのかわからず、酒屋で勧められたポルトガルのロゼワインを飲みました。ユニークな形の瓶に入った、その少し微発泡したワインがワインとして一般的だった時代でしたが、マスヒロさんにとってそのワインは、あまり美味しいとは言い難いものだったようです。
2本目に出会ったワインは、ご家族の転居先、札幌にある酒屋で見つけた1965年の“シャトー・ラトゥール”です。1965年はあまり良くない年とは知ってはいましたが、「5大シャトーのひとつ、ラトゥールなのだから」、と飲んでみたそうです。年のせいもあったかもしれませんが、酒屋の保存状態が良くなかったこともあり、そのラトゥールは渋くて酸化していました。そのとき「これが世界最高峰のワインか・・・」と、マスヒロさんは残念に思ったそうです。
それから10年ほどたって、マスヒロさんは、初めて好きなワインに出会います。
当時、銀座レカンのソムリエ下野氏から、「レカンにいらっしゃるお客様の中で、一番恐ろしいお客様のひとりに、ボルドーのサン・ジュリアンのワインばかりを召し上がる方がいます。ソムリエとして常に良い状態のワインを出していますが、その方がいらっしゃると、本当にいい状態のものしか出したくないと思うくらい、気を遣います」というお話を聞いて、マスヒロさんもできる限りサン・ジュリアンのワインを飲もうと思っていました。パリを訪問中、フランスのホテル・レストラン・ガイド『ミシュラン』と並ぶ『ゴー・ミヨ』に載っていた酒屋さんに出かけたときのこと。そこは、乾物やらジュースやら、なんでも売っているようなお店で、ベレー帽をかぶった70歳くらいのおじいさんが一人でやっていました。
そのおじいさんに、「サン・ジュリアンのワインを探している」と言うと、「地下のワイン倉庫から探してくるので、店番をして待っているように」とマスヒロさんに言い、地下へ降りて行きました。店番をするはめになったマスヒロさんでしたが、しばらくして、おじいさんが持ってきたのは、1960年代の“シャトー・ベイシュヴェル”。それを買って日本に帰り、飲んでみると、とても美味しかったのだそうです。

第5.1回02しばらくして、再びパリに行く機会があり、そのお店をまた訪れました。ベレー帽のおじいさんはマスヒロさんのことを覚えていて、「今お客の相手をしているから、自分で地下へ降りて行って探してきなさい」と言うのです。地下に降りて行くと、そこは地下1階と2階になっていました。そして年代毎に並べられている訳でもないのですが、いいワインがゴロゴロと積まれています。マスヒロさんは、自分の生まれ年でもある1948年と白墨で書かれた“シャトー・ラフィット・ロートシルト”を見つけました。
お店に上って行き、さっそくおじいさんに「本当にラフィットなのですか?」と訊ねると、
「ボトルを開けたらブション(コルク)にちゃんと書いてありますよ」と言います。
いくらかと訊ねると、約30,000円でした。
日本に買って帰ったマスヒロさんは、ワインの旅の疲れが十分癒えた頃、気の合う仲間と共に、この1948年のラフィットを開けることにしました。「自分と同じ生まれ年の1948年、どのくらい自分と同じだけ熟成しているのか、なおかつ若々しいか、勝負してやろうじゃないか!」と意気揚々とし、自ら、そうっとコルクを開けました。その瞬間、不二家のミルキーキャンディを思わせるような甘い良い香りがしたそうです。
「失礼しました。家柄も育ちも、全く違う、すばらしいワインです!こんなワインがあるのか!」と、ワインの魅力にどっぷり浸かってしまったマスヒロさんでした。
48年はプティットタネ(小さな年=あまり偉大な年ではない)と言われていますが、悪い年ではなく、多くが1960年代に飲まれてしまっているため、1980年代の当時まで残っているのはとても珍しいことでした。おじいさんの地下倉庫で静かに眠りながら時を経て来た『1948年のラフィット』は、初めてマスヒロさんが美味しいと思ったワインであり、本気で一生懸命ワインの勉強をはじめるきっかけとなったワインでした。
それからもちょくちょくその店に出かけてワインを買ってきていたマスヒロさんですが、1985年に訪れたとき、おじいさんがお値段的にもこれがお勧めと出してきたのは、“シャトー・ラ・ミッション・オー・ブリオン 1960”で、当時のお値段で10,000円くらいだったそうです。
「1960年も小さな年ですが、むちゃくちゃ美味しかったです。僕は買ってきたワインは全部飲んでしまいますが、忘れられないワインはボトルごと取っておきます。エチケットを外してもいいのですが、これくらい年を経たワインだと、はがす方が困難ですし、瓶の澱ごと取っておきます。このボトルを見る度に、20年前のことが昨日のことのように思い出されるのです。
家にも事務所にも沢山空きボトルがあります。僕の事務所はワインのカビの香りがするでしょう。まだまだワインが生きているのです」と言って見せて下さったのは、なんと1929年のロマネ・コンティのボトルでした。まだわずかに液体状の澱が残っていて、コルクを外すと、何とも言えない甘い魅惑的な香りがしました。

ワインとの思い出

第5.1回03「フランスのレストランを巡っているとき、ブルゴーニュから100キロほど離れたところにあるレストランのワインリストに1929年のロマネ・コンティを見つけました。当時85年頃で5,000フラン(125,000円)という価格でした」。
パリにあるベトナム料理店『タンディン』のオーナーシェフで、ポムロールのペトリュスを有名にしたことでも知られるヴィフィアン兄弟と友達のマスヒロさんは、彼らから「1929年のロマネ・コンティを飲まないでロマネ・コンティを評価してはいけない」という話を聞いていたので、1929年のロマネ・コンティをリストに見つけたとき、どうしても飲みたいと思いました。   
ワインを買うのであれば、パリのワイン専門店で買うと値段が高いので、昔三ツ星だったレストランの持っているワインをよく買っていたというマスヒロさん。そういうレストランは、三ツ星だった頃に良いワインを沢山仕入れており、当時の価格のままリストに載っていたことが多いのだとか。このときも、「1929年のロマネ・コンティを買いたい」とソムリエの方に頼みました。すると、オーナーからの伝言で「これだけは、飲みたい仲間を連れてきて、ここで飲んでください。戦争中も、ワインを隠すために壁を造ったりして守り続けてきたワインなのですから…」と断られてしまいました。
それから10年が経ち、日本料理店『青柳』の小山裕久さんが、パリのホテル『ブリストル』でフェアを催すことになり、マスヒロさんをはじめ何人かで応援に行くことになりました。そこでこのロマネ・コンティの話をすると、『ブリストル』のフェアでフランスに行くのなら、そのロマネ・コンティのあるレストランにも是非行こうということで、皆が賛同したそうです。ワインリストで見つけてから随分月日が経っていたので、アシスタントの方に1929年のロマネ・コンティがまだあるかどうかレストランへ電話で確認してもらいました。その値段は10年の間に3倍になっていましたが、それでも270,000円で、後2本残っているとのことでした。そのソムリエに、日にちとロマネ・コンティ1本だけを予約し、参加者には当日まで、どこのレストランに行くのか伏せておきました。先を越されて飲まれては困りますものね。
やっとレストランへ行くその日の朝、皆に場所を公表し、車2台に7名が乗り込み、いざレストランへと出発しました。
日曜日のお昼、かつての三ツ星レストランは、年配のお客様が多く、ソムリエは大変緊張してボトルを開けるので、レストラン中で注目の的だったそうです。前菜までいただいた後、メインのお肉料理の前に、一旦お料理をストップしてもらいました。
「1929年のロマネ・コンティとなにかのお料理を合わすなんて、不可能です。そうしていただいたワインは、多少酸化していましたが、初めて見つけたときから10年も経っているのにも係わらず、まだ香りが素晴らしかったです」。
その時の食事では、ロマネ・コンティのほかにも、1940年代、1950年代のボルドーの値段が手頃だったため、皆さんでおいしく飲まれたそうです。

第5.1回04「本当に狙い目は、1950年代1960年代にかつて三ツ星だったレストランです。現在三ツ星の最先端レストランに行くことも大切ですが、かつて三ツ星だったレストランに行くのもいいものですよ。1985年くらいのことです。サン・テミリオンにある『オテル・ルーバ』に、取材の仕事で泊まりました。驚いたのは、ボルドーなのにブルゴーニュのワインが沢山あるのです。以前はブルゴーニュでソムリエをしていたという給仕係が空けてくれたのが、1949年のコルトンです。ボルドーでこんなワインがあるのか、と感動した思い出のワインの一つです」。

ワインと食

第5.1回05基本的にフランスの赤ワインがお好きだというマスヒロさん。
「ちょっと生意気に聞こえるかもしれませんが、1980年代以降のワインには興味ないのです。どんなに健康状態が良くても、そのワインが一番飲み頃の時には、僕はもう生きていないかもしれません。醸造長は、今造っているワインが何十年後かに良くなると思って造っています。そのワインの最高潮の時に、醸造長自身ももしかしたら生きていなくて飲めないかもしれないというのに…。なんてロマンティックなんだろうと思いませんか?
だから造り手の気持ちに思いを馳せながら、ワインを飲みたいと思っています。
ボルドーは最低でも30年くらい経ったものが美味しいと思います。いい仲間を集めて美味しいワインを飲めたら、なんてすてきな人生でしょう。今飲んで一番美味しいのは60年代のワインです。1945年も美味しいです。ムートンだったら2020年くらいまでは美味しいのではないでしょうか。45年、47年、49年、53年、59年、61年、66年のワインもいいですね。そういうワインを、みんなで分かち合って飲みたいです。
一本20,000円のワインを一人で飲むより、グラス一杯20,000円のワインをみんなでシェアー(分かち合って)して飲む方がいいです。一人で飲むほどつまらないことはありません。食事もワインも、分かち合う、シェアーするのが魅力だと思います」。

第5.1回06自分ひとりで楽しむのではなく、みんなで分かち合うことが美味しい。ふるまい酒で飲んで飲んで、ということもあるというマスヒロさん。それでも昔はワインを一滴も飲めず、フランス料理をお水でいただいていたこともあったのですって。
「フランス料理を食べ始めた頃は、ワインが飲めませんでした。僕の昔を知っている人は、『マスヒロさん、水を飲んでフランス料理のなにがわかるの?』と言っていましたからね。でもその頃から飲んでいたら、ひっくり返っていたでしょうね(笑)。
ワインが飲めるようになったのは、ひとえに好奇心です。フランス料理はワインがないと分からないと思い、一生懸命勉強しました。勉強すると、一口しか飲めなかったのが、だんだん飲めるようになったのです」。
アロマもブーケもわからなかったというマスヒロさんは、1982、3年くらいから月に3回ほど本気でワインの勉強を始めます。そのうち1回は六本木のワインバー『ミスター・スタンプス・ワイン・ガーデン』の磧本さんのところに、ソムリエやワインを扱っている人が7~8人集まり、テイスティングの勉強をしていました。
新しいワインを並べて、いつが飲み頃か、買う価値のあるワインかどうかを考えたり、造り手によってどう違うか、といった勉強会に一生懸命出かけました。
それとは別に、本当に美味しいワインならお金を出してでも飲みたいという仲間7~8人と、古いワインを買って来ては、毎回4~5本、若いワインから古いワインへヴァーティカルでテイスティングをしたり、また、ヴィンテージものの横綱格ばかりで古いワインの飲み比べをしたりしながら勉強しました。
ソムリエと一緒に勉強していると、なかなか自分の言葉が出せないと思ったマスヒロさんは、月に1回、お寿司屋さんや和食の方など、ワインを飲んでいない人、ジャンルの違う人を集め、マスヒロさんが講師になってワインをセレクトし、一緒に料理を食べながらワインについて話す会を始めました。
覚えた言葉を、本を見ないで人に伝えることで、自分の理解につながっていきました。そして次第に、その会の人々も、いつしか古いワインを飲みたいと言い出すようになったのだそうです。

田崎真也さんが六本木の『ボンヴィヴァン』でソムリエをしていた頃のこと。ワインのテイスティング会で集まっているところへ、ちょうど来日中だった友人の『タンディン』オーナー、ヴィフィアン兄弟の一人がゲストで来てくれました。テイスティングをしていると、一人の参加者が遅れて登場しました。持ってくる時に澱が舞うといけないので、あらかじめ自分のところでデカンタをしたワインを持ってきたと言います。これ幸いと、ブラインド・テイスティングをすると、プロばかり集まっている中で、ヴィフィアンが、「ここ一ヶ月以内に飲んだワインに極めて似ている。1964年のシャトー・タルボではないか?」と言うのです。実はそれは1962年のシャトー・タルボでした。「小説で読むような場面を初めて見ました。彼は職業柄ここ一ヶ月に何百本も飲んでいるはずですが、旅先の日本で、いつもと違う環境にいるのに、年代とワイン名を当てたのです。日本へ運ばれてくる段階でやや年代がぶれたとしても、驚きました。頭で記憶することが、ワインにおいてこれだけすばらしいものを引き出せるのですね」。
「ヴィフィアンは『あらゆるお酒の中で、頭を通過する唯一のお酒はワインだ』と言うのです。畑まで当ててしまうなんて、しかも自分が相手の国に出かけてきたのに、いつもと違う状態にあっても当てることができるなんて…。ワインの底知れない魅力を感じました」。
「頭を通過する」なんて、すごい表現です。私も今度ワインをいただくときには特別意識してみようと、心の中で思いました。

マスヒロさんのお話は次回へと続きます。どうぞお楽しみに!
プロフィール

料理評論家 山本益博さん(東京都出身、早稲田大学卒)

・1948(昭和23)年に、東京の下町、浅草・永住町(現在の台東区元浅草)に生まれる。
・1982年、『東京・味のグランプリ200』を講談社より出版。
・料理を作る料理研究家ではなく、“毎日、外で食べていれば食っていけるという不思議な職業”「料理評論家」を確立。
・長年にわたるフランス料理を紹介する仕事が評価され、2001年にはフランス政府より「農事功労勲章シュヴァリエ」を受勲。
・現在、日本における農事功労勲章受章者の団体「MOMAJ モマージュ」の企画委員として、「食材アカデミー」などの企画立案に尽力。
・さらにプライベート・サークル「a table(ア・ターブル) 99」を主宰するほか、日本のワインを家庭の食卓に普及させる勉強会「和食で和飲(わいん)」を開催。
・近著として、都内で1,000円台で食べられる店を紹介する『東京1000円味のグランプリ おかわり!』などがある。
・最新の食べ歩き情報を、『週刊現代』の連載「至福の食」や、自身のサイトやStylogにて発信するほか、新記録を達成した大リーガー・イチローをマスヒロ流に追いかけたノンフィクション・エッセイ「打撃職人イチローを味わう」も『小説新潮』で好評連載中。

 

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