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第7回 宮川俊二さん

NHKのチーフアナウンサーを退職後、民放のニュースキャスターを務め、現在はバラエティー番組にも出演するなど、幅広くご活躍の宮川俊二さん。
趣味はお料理とワイン。イタリア料理を習い、ワインスクールに通ってワインエキスパートの資格を取得された宮川さんに、ワインとの出会いや、ワインとお料理にまつわる愉しいお話を伺いました。

ワインとの出会い

第7回01宮川さんのご実家は果樹生産農家で、幼い頃は、家の前に広がるブドウ園の中でボーイソプラノの歌声を響かせていました。自宅には収穫したブドウからできた、いわゆる自家製ワインがあり、子供の頃に味わったワインの記憶は「甘味よりも渋味が強いなぁ」だったそうです。
大人になって、当時あった“赤玉ポートワイン”を経験。その後、出会ったワインは、イタリアのワインだそうです。
1970年NHKに就職し、岐阜支局でアナウンサーとして勤務していた頃です。当時、イタリアのパスタ“ブイトーニ”はなかなか手に入らないものでした。ある日、宮川さんの先輩が“ブイトーニ”を入手したというので、
「今までのようなベチャベチャになったスパゲッティーではない、コシの強い、おいしいアルデンテのパスタを作ろう!」
ということになりました。
さっそく友人と海岸へ潮干狩りに出かけ、とってきた貝を使って、ボンゴレ・ビアンコを作りました。その時に合わせたワインが、イタリアのキアンティでした。
新鮮なアサリたっぷりのソースが絡んだ、プリプリのブイトーニのパスタのおいしそうな香りを想像しました。

第7回02その後、ドイツ哲学を専門とする友人の影響や、80年代前半になってドイツワインが日本に入ってくるようになったことで、クラシックを聴きながらドイツワインを飲むこともあったという宮川さんですが、後にワインエキスパートの資格を取るほどワインの勉強をするようになるとは思っていませんでした。
これまでのお仕事の分野や、NHKにいたということもあり、バブル時代とは縁がないという宮川さん。ワインブームでみんながワイングラスをぐるぐる回していた頃、あえてシングルモルトをオン・ザ・ロックで飲んでいたのだとか。しかしハード・リカーはアルコール度数が高いため、少し飲みすぎると、翌日、身体の調子が優れないことがありました。そこでワインを飲んでみると、翌日の体調が良く、それからは食事の時にも、ワインを適量ずついただくことになっていったそうです。
本格的にワインを勉強するきっかけは、ワイン関係の知り合いのパーティに出席し、クイズに参加したときのこと。300人の中で、優勝者は女優の川島なお美さんでした。宮川さんも上位に残ったのですが、チーズについての問題が難しく、
「料理もワインも興味があったが、チーズの分野はなかなか到達できていなかった。さすが、優勝者はちゃんとおいしいものを知っていて、ちゃんとおいしいものを飲んできているのだな。自分はなぜこれが美味しいのか、なぜ美味しくないのか、基本的なことがわかっていない。これはちゃんと勉強しなくてはいけない」
と思ったのだそうです。
ワインスクールの認定試験対策講座を受講し始めたのは、試験の数ヶ月前、2002年4月のこと。
「講座はすでに1月から始まっています。今から受講されるのでしたら、一年間勉強して、来年受験されてはいかがですか?」
とスクールから言われた宮川さんですが、教本を見て、やはり受験することを決心しました。
「いいえ、来年は仕事があって受験できないかもしれないので、今年受験します」。
一ヶ月で教本に一通り目を通し、次の半月で再度目を通し、次の一週間でさらに目を通すという、学生時代の受験勉強法を思い出して挑みました。
試験の一ヶ月前にはワインスクールの模擬テストで90点台をマーク。そして、とうとう“社団法人日本ソムリエ協会認定ワインエキスパート”に見事合格しました。
それからは、色々な場で常にワインや料理が話題に取り上げられるので、勉強しておいてよかったと思っているのだとか。
ワインのほかにも、イタリア料理を勉強した宮川さん。
「はじめはフランス料理を勉強してみたのですが、ソースや食材や調理法に時間と手間がかかり、仕事を終えて帰宅したとき、ワインと合わせて食事を取りたいと思っても、作れる分野じゃないなと思いました。イタリア料理は日常の料理方法に近く、男の料理としてもいいと思います。イタリアワインが好きなので、妻が仕事に出かけているときなどには、よく料理をします」
得意料理は「アクアパッツァ」。沸騰した水で魚を煮、その旨味と野菜の風味をたっぷり含んだスープ仕立てのイタリア料理の一皿です。
「先日作ったアクアパッツァは最高の出来でした。先程まで生きていたカサゴは身がコリコリと引き締まっていました。どこのお店のものより美味しいと思いました」
もちろんイタリアワインと合わせて、楽しんだのだそうです。

ワインとお料理

第7回03宮川さんがワインを選ぶ時、どんな点を心がけているか伺いました。
「どの国、どの年代などから、どんなワインがあるかというような、チャートが描けないといけないと思います。男性も女性も、ある程度ワインを勉強した方がいいのではないでしょうか。最近、グランメゾンではないレストランでも、お値段を書いていないメニューを女性に渡すことがあります。ワインを勉強していれば、ある程度市場価格がわかるでしょうが、勉強していないと、注文したワインの値段によっては、相手に不愉快な思いをさせるかもしれません。逆に勉強をしていると、ワインの価値を考えながらワインリストを読むことが出来、リーズナブルで美味しいワインを探したり、ワインの輸入元が分かったりして、ソムリエを交えて会話が盛り上がります」。

ワイン、そして伝えること

第7回04常に勉強熱心な宮川さん。トゥール・ダルジャンのソムリエによるプロフェッショナルなレストランサービスのセミナーに参加した日の夜、外食先で食前酒を運んできたソムリエに
「“食前酒“はなぜ勧めるのですか?」
と訊ねてみたそうです。しばらく回答に迷っているので、
「最初の答えは、売り上げでしょう。それから、この食前酒の後はどのような展開でワインを勧めていこうか考えられますよね。普段していることを、言葉に箇条書きしてみると、サービスの質が変わると思いますよ」
と話してあげたそうです。
「お店の内装や景色がよく、お料理も美味しいお店は増えました。しかし、サービス面というソフトがまだまだだと思います。お客の側がワインや料理について勉強を始めている時代です。ソムリエもワインの知識だけでなく、サービスする人間としてのテクニックをしっかり勉強してほしいです」。
美味しいお料理はもちろんですが、すばらしいソムリエがいるお店に行くと、すごく幸せな気持ちになりますよね。
TV報道キャスターとして活躍されたの宮川さんから“伝える仕事の基本”について、ソムリエも同じ、というお話を伺いました。「報道キャスターの仕事は、自分たちの知っていることを、誰にでも分かりやすく伝えることです。プロフェッショナルが話すことを、視聴者に分かりやすく伝えるのも仕事です。話す仕事は、音量も十分考慮します。相手に伝わる音量でいいのです。ソムリエにも同様のことが言えると思います。ソムリエがワインをテイスティングして独自で感じたことを、一般の人たちに分かりやすく伝える。それがソムリエの“腕”ではないでしょうか」。
1989年、仕事で、日本の古いミシンをベトナムに贈る活動をレポートしたのをきっかけに、ベトナム応援団の活動を続けている宮川さん。「1994年にベトナムで日本語を教えるボランティアをしました。“経済協力”といいますが、自分が出来る“協力”は、相手に対して何か力を貸して、相手が自立するのを助けてあげることだと思っています。今は工場が出来ましたし、この後何が出来るだろうと考えたとき、“ソフト面”だと思いました。ベトナムにはよい食材があり、中華料理をはじめ、フランス領であったことから、腕のよいフレンチの料理人もいます。しかし、サービス面が不足しています。ベトナム料理店でイタリアのバローロを勧められたり、一流ホテルの朝食バイキングにお寿司とおにぎりが並んでいて、その横にお酢がおいてあるのです。日本人はおにぎりにお酢をつけませんね。そういうソフトの情報を教えてあげたいですよね」。
宮川さんが初めてベトナムを訪れたとき、ミシンを贈るレポートの仲介を勤めた良き友人がいます。去年ベトナムを訪れたとき、ワインに興味がある宮川さんがベトナムのワイナリーを訪問したいというと、その友人が手配をしてくれたのだとか。その時のレポートはソムリエ協会機関誌(『Sommelier』No.83 Page30)に掲載されました。そうして出来た素敵な関係があるので、これからもベトナム応援団を続けていくのだという宮川さん。援助するのではなく、自立を助ける協力が出来るように、そんなすばらしい架け橋としての役割を続けている宮川さんを、私も応援していきたいと思います。

第7回05宮川さんは、ベトナムワインのほかに、日本のワインにも注目しています。世界中に寿司バーが増えていますが、そこに日本酒だけでなく、日本のワイン、特に甲州ワインを置こうという動きがあるそうです。日本食ブームに乗って、日本ワインを応援しているのだとか。
日本の外からも中からもワインを見て、みんなにやさしく分かりやすく伝えていこうと努力している宮川さんの優しい笑顔が、とても印象的でした。

プロフィール

宮川 俊二さん

・1947年 愛媛県宇和島市に生まれる
・1966年 愛媛県立宇和島東高等学校卒業
・1970年 早稲田大学第一文学部卒業「社会学専攻」
      日本放送協会(NHK)入局 山形・岐阜・高松・福岡・名古屋・東京の各局に勤務
      担当業務:アナウンサー ミッドナイト・ジャーナル/くらしのジャーナル・国会中継 等
・1993年 チーフアナウンサーとして活躍も依願退職、ベトナムで日本語講師として充電
・1994年 フジテレビ「ニュースJAPAN」キャスター
・1998年 フジテレビ「スーパーニュース」キャスター
・1999年 フジテレビ「スーパーニュースウィークエンド」キャスター
      現在に至る
・主な著書
『アオザイの国へ』(同友館)

 

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